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明治大学博物館(刑事部門)

3/1木
  
一気に春めいた陽気の3月初日。数日前まで0度付近だったのに、最高気温20度はちょっと上がりすぎでしょう。
  

  
以前から知る人ぞ知る珍スポットとして気になっていた明治大学博物館(→google)。
その昔、明治法律学校を起源とする明治大学は、法律にも縁深い刑事関連の資料が多く、罪と罰に関する博物が展示されています。
家族と行く場所ではないので独りのこの日が最適。
  
ここ明治大学駿河台キャンパス付近はバイクを安全に駐輪出来る場所がガチで少なく、相当探し回りました。
 
 
 
駿河台に林立する明大施設の中でも一際目立つリバティタワー、こちらの地下に目的地はあります。
  

 
大学の片隅にひっそりと佇む小規模なスペースの展示室を想像していたのですが、かなりしっかりとした設備です。地下二階が博物館。
 

 
鎌倉時代の御成敗式目、江戸時代の基礎武家諸法度や徳川8代吉宗時代の公事方御定書、徳川5代綱吉時代の生類憐みの令などその時代時代で権力者が定めた刑事法並びます。
 

 
刺又(さすまた)、突棒(つくぼう)、袖搦(そでがらみ)は江戸時代の補者三道具。
こんなトゲトゲしている道具で取り押さえられたら抵抗出来ないね。
 

 
十手(じって)も形状や長さも様々。名前の由来は十本の手に匹敵する働きという事らしい。
時代劇にはよく登場する印象だが、警察関係者しか取扱えなかったこともあり、現存する遺品は意外と少ないのだそう。
 

 
江戸時代の拷問で有名な石抱責。
柱を背に後ろ手に縛り、三角材の角を上にした十露盤板に足露出で正座をさせ、45kgの伊豆石を4枚重ねるのだそうな。
 

 
死なない程度に月日を開けて繰り返し、自白をするまで続くようなのだが、苦痛がフラッシュバックして恐れおののき自白するそう。
 
考え付いた奴は、どんだけドSだったのか、、 
   
入墨が窃盗犯の識別に使われていたとは知らなかった。
  

  
江戸時代で主人、親殺しに適用された最も重い鋸引の刑。土中に首だけ出させて晒し俵に立て掛けた鋸二本、被害者親族に直接触らせる事も出来たそうな。
実際は鋸を触る者はおらず、二日間晒し市中引き廻しの上で磔(はりつけ)になっていた。
 

 
こちらが磔刑(たっけい)。関所破りや雁金作り、主人や親を傷付けると行われた。
柱に貼り付けた上、左脇腹から右肩、右脇腹から左肩へ槍を突き刺し絶命。獄死者は塩漬けにした遺体にも同じ刑に処されたそう。磔は絵のように男性はまたを開いた大の字、女性は十の字と決まっていた。
 

 
江戸時代の火刑(かけい)は、主に放火犯に対して行われたようです。「目には目を」ってヤツですね!
放火は現代でも重罪だけど、昔は更に大罪だったのでしょう。
  

 
明治に始まった絞首刑は、当初は絞罪柱に身体を括り付け、柱の裏の縄先に重りをつけて首に掛けた縄ひもを引っ張り上げるというもの。
これ簡単に死なないでしょ、、
 

  
この方式は三年で廃止になり、現在の床が開く絞首台方式に変更となった。
   

 
マリーアントワネットにも処されたギロチン。
初めて存在を知った時はゾワッとしたのを覚えているのだが、ここまで色々な処刑を見てくると寧ろ人道的なものに思えてしまう不思議。レプリカですがなかなか迫力があります。
フランスでは死刑廃止となった1981年まで使用されていた。
  

 
日本ではここでしか見られない鉄の処女。恥辱刑に使われたそうですが謎が多い。鉄製の内部は針が伸びており生存空間がない。針は実は無かったという説が濃厚なのだそう。
 

 
罪と罰の刑具の展示は珍しいモノばかりで圧巻でした。
 
江戸時代以前は司法と行政はごちゃ混ぜになっていたのが何よりの驚きで、町奉行のその日の気分と感情で刑も決まってしまう。
疑わしきは罰する時代なのだろうから、冤罪なんて当たり前だったんだろうね。
いやはや恐ろしいわ~
  
 
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